上地流系

shuriteNahateTomariteUechi-ryuKobudoryuei-ryu

 

上地流

 

上地完文(1877~1948)を開祖とする流派である。上地は本部町伊豆味で生まれた。20歳の時中国福建省福州に渡り、南派少林拳周子和に師事し、13年間修行を積んでいる。1909年(明治42)帰郷し、沖縄で茶商を営んでいた白鶴拳の達人呉賢貴と親交を深めたが、拳法の伝授はしなかった。1924年(大正13)和歌山に転出、2年後の1926年から県人会の要望に応え、拳法指導を開始した。1932年(昭和7)「パンガイヌーン流空手術研究所」を開設し、本格的に指導を開始した。1940年(昭和15)流派名を上地流と改名した。沖縄戦後、上地流は本格的・実戦的武道としての声価を高め、多くの門弟を育成している。

型は中国伝来の「サンチン」「セーサン」「サンセーリュー」の三つの型を機軸に戦後編み出された完子和(カンシワ)、完周(カンシュウ)、十戦(セーチン)、十六(セーリュウ)、完戦(カンチン)の五つの型を合わせた八つで構成されている。これらの体系は二代目上地完英の時代に大成されたようである。1960代から海外支部との連帯強化を図る組織活動も活発に行われるようになった。

上地流は空手の武道的性格と競技性を積極的に追求し、1968年(昭和43)9月15日第一回上地流空手道選手権大会を開催した。県内流派として「型」と「組手」の試合を始めて公開実施した。

上地流は現在、いくつかの会派を生むようになったが、日本本土や海外に多くの支部を有している。

 

参考文献:沖縄空手の定本(津波清著・NPO法人沖縄空手道・古武道支援センター発注)