首里手系

shuriteNahateTomariteUechi-ryuKobudoryuei-ryu

 

 真栄城 守信

(沖縄小林流空手道協会)

 島袋 善保

(国際沖縄少林流聖武館空手道協会) 

故 仲里 常延 

(少林寺流の開祖)

小林琉

少林琉

少林寺流

 

小林流

唐手佐久川(1762~1843)から松村宗棍(1809~1899)そして糸洲安恒(1831~1915)へと継承されてきた首里手系の伝統を知花朝信(1885~1969)が受け継ぎ、1933年(昭和8)小林流と命名した。知花は1956年(昭和31)1月沖縄小林流空手道協会を設立し、初代会長に就任している。

小林流の特徴について宮平勝哉(1918~2010)は「小林流の技術的特徴は瞬間的に力を集中させる点にあり、剣道と相通ずるものがある。武には速さが重要であるが、速さプラス重さが破壊力となるには、鍛錬によって速さと重さを涵養しなければならない。同流の力の出し方は内から外へと意識的であり、内臓を圧迫することなく、呼吸の乱れも少ない。加えて、不要な筋肉疲労もなく、集中力が増すため、敏捷性を養い、攻撃力を十分発揮することができる。」と述べている(沖縄大百科事典)。代表的な型にはナイファンチ(初段~三段)、ピンアン(初段~五段)、糸洲パッサイ、松村パッサイ、クーサンクー(大・小)、チントウ、ジオン、五十四歩などがある。

沖縄小林流は現在沖縄小林流空手道協会(初代会長知花朝信、二代目会長宮平勝哉、三代目会長石川精徳)、沖縄空手道小林流小林館協会(会長仲里周五郎)、沖縄小林流空手道究道館連合会(初代会長比嘉佑直、二代目会長比嘉稔)の組織がある。沖縄小林流は首里手発祥の地首里を中心に伝統の空手を継承発展させた流派であり、東京を中心に普及活動を展開した船越義珍の松濤館流とは趣を異にしている。日本本土や海外への普及は沖縄戦終了後(1946年以後)である。沖縄小林流各会派はそれぞれ日本本土や北米・南米・ヨーロッパを中心に多くの支部を有している。

 

少林流

少林流を名乗る流派はいくつか存在するが、喜屋武朝徳(1870~1948)に師事した空手家の内、1967年(昭和42)8月、宜野湾市を境に南部地域の道場を南部少林流、以北で道場を構えていたメンバーで結成したのが中部小林流である。結成時は中部少林流空手道協会と称したこともある。前身は1960年(昭和35)全日本空手道連盟沖縄地区本部(全日本空手道連盟理事の保勇氏が仲立ちとなった。)として出発し、後全日本空手道連盟解散後沖縄空手道連合会に衣替えしたが、1967年(昭和42)全沖縄空手道連盟結成を受けて解散した。

初代会派長島袋善良(1909~1969)、二代目会派長幸地克秀、1980年から三代目会派長として島袋善保が就任している。所属道場は現在秀道館與那嶺正雄、至道館當銘由親、聖武館島袋善保の三道場である。継承している型はナイファンチ(初段~三段)、ピンアン(初段~五段)、チントウ、アーナンクー、公相君、五十四歩、ワンスー、パッサイ、セイサンなどである。中部少林流の中でも聖武館は海外に多くの支部を有している。

 

少林寺流

沖縄空手道連合会解散後、仲里常延(1922-2010)を流祖として結成された組織である。仲里は昭和12年4月より昭和18年12月までの6ヶ年間喜屋武朝徳に師事した。この期間は仲里が県立農林学校在学時から青年師範学校在学時及び北玉青年学校に勤務していたころである。仲里は島袋善良と共に全日本空手道連盟沖縄地区本部の結成や沖縄空手道連合会の結成に関わり、副会長に就任している。

少林寺流は喜屋武朝徳に薫陶を受けた八つの型を正しく継承し、他の首里手と区別するため結成された。少林寺流の命名について仲里は「少林寺流というのは中国拳法の始源といわれる中国の少林寺拳法に因んだ名称である」と述べている。

継承している型はアーナンクー(台湾人より継承)、セーサン(松村宗棍より継承)、ナイファンチ(松村宗棍より継承)、汪楫(真栄田親雲上より継承)、抜塞(親泊興寛より継承)、五十四歩(松村宗棍より継承)、鎮闘(松茂良興作より継承)、公相君(屋良親雲上より継承)の八つである。他に棒術として喜屋武朝徳が八重山の徳嶺親雲上より継承した「徳嶺の棍」がある。

 

参考文献:沖縄空手の定本(津波清著・NPO法人沖縄空手道・古武道支援センター発注)