古武道

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琉球古武道

仲本 守

(沖縄伝統古武道保存会 

文武館

沖縄古武道

島袋常雄

(硬軟流・琉球古武道翔成会 

南原守礼舘) 

サイと棒

(写真@沖縄メディア企画)

 

沖縄古武道の成立と発展

 

 ここでいう琉球古武道とは武具を使用し、空手の型と同様に一定の「形式」を備えた武道のことである。武具としては「棒」(棍ともいう)、「サイ」、「ヌンチャク」、「トンファー」、「エーク」(櫂)、「テンベー」、「スルチン」、「カマ」など多彩である。サイやテンベーなどのように中国伝来の武具もあり、カマなどのように農具を武具としたケースもある。いずれにしろ沖縄の風土に合うように発達してきた事は間違いないようである。

 古武道が武術として体系化されてくるのはいつごろ、どのようにして形成されてくるかは不明である。古武道の名称について仲本政博は「古武道の名称は、編み出した先生方の姓を取って付けたものが多く、あるいは研究された土地名によって付けたりされている。元来、古武道の型は相当存在したと思われるが、指導機関の不備その他の点などから師匠一代で終わったり、あるいは忘れられてしまったものが沢山あると思われる」と述べている(沖縄伝統古武道 その歴史と魂 1983)。棍や棒の型名について「一、人名から型名となったもの(白樽の棍・趙雲の棍) 二、氏名から型名となったもの(徳嶺の棍・宗氏の棍・佐久川の棍・大城の棍) 三、屋号から型名となったもの(端多小幸良棒) 四、地域、部落の名から型名となったもの(与根川の棍・浦添棒) 五、島の名から型名となったもの(津堅棒・津堅砂掛けの棍) 六、型の特徴から型名となったもの(四方切・突棒・九尺棒) 七、願望、自然現象より型名となったもの(天龍の棍) 八、物質より型名となったもの(金剛の棍)」の八つに分類し、「沖縄古武道の特徴である呼名は、本人が付けたものと後代の人達によって命名された等がある。現在伝わっている棍、棒の型名が沖縄的であることから推察して、明らかに沖縄人の手によって多くの型が発明され編み出されたと考えられる」と考察している(前提書)。歴史上実在する古武道の大家として登場するのが佐久川寛賀(1762~1843)である。佐久川は拳法の修行のため中国大陸にわたり、拳法と古武術を持ち帰った、といわれる。一般に「唐手佐久川」とも呼ばれている。また、1682年、徳川家綱将軍の慶賀使の随員浜比嘉親雲上は囲碁の名手として時の本因坊4世道策と江戸の薩摩屋敷で手合わせし、4子で1勝1敗し、4段格を認められた。この浜比嘉親雲上は古武道の大家でもあり、「浜比嘉のサイ」「浜比嘉のトンファー」を創作したと言われている。このように古武道の名人が歴史的に考証できる人物として登場するのは17世紀後半から18世紀においてである。古武術は19世紀に入り、知念筑登之親雲上可那〈油屋山城〉(1797~1881)、添石良行(1752~1825)、知念親雲上三良〈山ぬ根ウスメー〉(1842~1925)、多和田筑登之親雲上真睦〈多和田ぬメーガントウ―〉(1814~1884)、知念志喜屋仲(生没年不詳)、金城大筑〈カニーウスメー〉(1841~1926)など大家が現れ、飛躍的に体系化がなされていった。1867年の開催された久米村の諸芸番組には型名はないが「棒」「藤牌」「鉄尺」「車棒」などがあげられている。

 近代に入り、古武道は屋比久孟伝(1878~1941)や大城朝恕(1887~1935)などに受け継がれ、東京や大阪を中心に本土にも普及するようになった。古武道の普及発展に大きな功績を残したのが平 信賢(1897~1970)である。

 又吉眞光(1888~1947)は安慶名直方〈具志川テイ―ラ小〉(生没年不詳)、又吉眞珍(生没年不詳)、伊禮翁〈ヂトデーモーシー小〉(生没年不詳)に師事した。眞光の古武道は又吉真豊(1921~1997)に継承された。

 劉衛流は中国武術の流れを組む独自の古武道を継承してきている。

琉球王家秘伝武術として「本部御殿手」も独自の系譜を持つ古武道である。

 

参考文献:沖縄空手の定本(津波清著・NPO法人沖縄空手道・古武道支援センター発注)