平信賢先生の故郷 久米島

編集:ミゲール・ダルーズ

(この記事は、沖縄空手通信と当空手ビューローのコラボとして編集された。沖縄空手通信94号・2014年4月号で掲載されました)

 

 空手・古武道の本場沖縄の名跡、先生方の御墓や顕彰碑はほとんど全て沖縄本島に位置しているが、昨年12月、久米島に於いて、琉球古武術保存振興会(井上貴勝会長)が琉球古武道の大家平信賢先生の顕彰碑を建てたことを機に、その故地を2日間の日程で訪れ足跡を辿った。下記は、「もう一つの聖地・久米島の旅」を紹介する。

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 ご健在であれば、平信賢先生は今年117歳。1897年久米島に生まれた師は、戸籍上「前里」となっている。1920年代本土に渡り、空手を船越儀珍、琉球古武道を屋比久孟伝の先生方に師事した。1970年の他界まで県内外で指導を続け、古武道の達人として琉球武術に深く足跡を残した。久米島に渡り、平先生の新たな像を求めてゆかりの地を探訪した。

 

御墓と顕彰碑

 顕彰碑の除幕式に合わせ前里家は、新たに門中墓を仲里役場の裏にある高台の登武那覇園内に建てている。今年1月の納骨により、平先生並びに御令息も共にそこに安置された。御墓の裏には、花崗岩製の顕彰碑と平先生の略歴を紹介する黒御影石製の碑文が立派に建っていた。久米島及び空手界にとって新たな名勝が誕生した。

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母校

 文献によると平先生は、仲里尋常小学校を卒業したと記載されている。仲里役場の斜め向かいには「久米島町立 仲里小学校」があり、同校の平井正良校長と面会したが、新たな情報は得られなかった。

生家

 平先生は、少年時代を仲里字真謝で過ごした。その地域には、真謝のチュラ福木、旧仲里間切蔵元跡、天后宮や久米島が生んだ偉人・沖縄民俗学研究者の仲原善忠氏(1890~1964)の生家がある。部落で散歩中に信賢先生の親戚に出会い、県道242号線と美崎小学校の間に位置する先生の生家に案内していただいた。ご親戚によれば、現在無人のこの家の前庭で、平先生は指導したという。

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 足跡めぐりが続き、信賢先生の兄前里信吉氏の孫の山里晴美さんとお会いした。「前里家の屋号は『ヤマタイヤー小』です」。山を担当するものという意味だそうだ。「信賢お爺さんは、歌三線が上手で、久米島の電気事業の先駆者でもあった」と元気あふれる晴美さんは語った。門中の資料を開き、「久米島を離れる前に、上原カマドと結婚し、長男の亀造と長女の和子が生まれた。その後、大阪の女性と出会い、息子の勇が生まれた」と説明が続いた。先生の功績を伝えると、「そこまでお爺さんが世界で有名と聞いて驚いた」と率直に認める。そして2時間半に及ぶ調査の締め括りに御位牌のある場所を尋ねたところ、「久米島本願寺にある」と話してくれた。早速、久米島町字仲泊にあるお寺を訪れたが、どなたにも会えず、翌日のアポを取り初日の日程を終えた。

 第二の宅 二日目の朝、文献を求めて久米島博物館を訪れた際に、真謝出身の平田光一館長らに平先生の第二宅の場所を教わった。生家の近くに位置するが、現在他家の方が居住。新たな情報は得られなかった。しかし、この広い敷地に信賢先生が住み稽古したと考えると、新たな聖地を発見した感覚だった。さらに真謝散歩を続け、地元の方に声をかけ、「ウーフチスー(御武士父?)」と呼ばれていた平先生の98歳の従兄弟にもお会いできた。

御位牌

 いよいよこの旅最大の目的、信賢先生の御位牌確認の時間となった。親戚のご理解を得て、本願寺に向かう。寺の非常勤のお坊さんに案内してもらい、拝見することが出来た。前里信賢先生の御位牌に手を合わすという至福ひとときを味わい、意義深きこの「もう一つの聖地・久米島の旅」を終えた。

 

 協力:山里晴美、井上貴勝、平良正次、平良千代子、喜屋武盛和並びに久米島の皆さん(順不同・敬称略)